山崎響のセンチメンタル暴力ブログ

物語を書いたり、書評したり、あれこれ思ったり。 演劇、映画、小説、色々見たこと、聞いたこと、そんな事を書いてます。 気軽にコメント下さいねっ!

ふわふわのダブルロールじゃないとちょっと。
風になびいて届けマカロン。

2014年08月

創作短編恋愛話 「あの街」

こんばんは。

山崎 響です。

思い出はたまに心からどろっとあふれて

足を絡め取ったり

胸を苦しくさせたりしますね。

それすらも心地よかったりもしますが。

今回も一枚の写真から・・・

というのは嘘で、

今回は先に文章が出来たので、

後から画像を探しました。

まぁ、どちらにしてもまた勝手な妄想を膨らませてお話を書きました。

ということに変わりありませんが。

では、

お時間と暇がゆるすならばご覧になっていただければ幸いです。









タイトル 『あの街』



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あの街を一緒に歩こう。

君が手をひいてくれたあの街を。

 

あの海を一緒に歩こう。
 
二人の名前を書いたあの海を。

 

今 君がいるあの街には素敵な話があるんだ。
 
よくあるカップルの話だけれど、特別な話があるんだ。
 
当たり前のように手を繋いで歩いたあの街に

 
 

誰も知らない特別な話があるんだ。あの街には。





あの夜を一緒に過ごそう。
 
君が隣にいてくれたあの夜を。

 

あの宿で一緒に過ごそう。
 
暖房が効き過ぎたあの宿で過ごそう。

 
 

食べ過ぎて 飲み過ぎて ふらふらになって笑って歩こう。
 
寝起きの飲み過ぎて腫れた顔を写真に撮って

少し君を怒らせたりしよう。
 
コーヒーを飲んでタバコを吸ってごろごろして

二人でシャワーを浴びて
 
君が化粧してる横で俺は言葉が解らないテレビを見て
 
鏡越しに目が合ったりしよう。
 
そんなありふれたことをして過ごそう。

 
 

誰にも話せるようなことじゃないけれど、
 
素敵な話があるんだあの街には。
 
そういう特別な話が。
 

 

二人だけの時間を過ごそう。

当たり前だった二人の時間。

幸せだった二人の時間。



いつか。 必ず。 いつか。
 






おしまい












創作短編恋愛話 『腹』

こんにちは。

山崎 響です。

皆様は連休でしょうか?

夏休み。

私は今年の夏は

本格バーベキューに取り組みたいと思っています。

気合いを入れて

コストコの会員になったので、

キロ単位で肉や野菜を買い漁って、

大所帯でやりたいと思っております。

知人で、

秋刀魚を焼こうとして網にくっつくわ、

肉に魚の匂いが移るわで顰蹙を買った人がいますので、

海の物は貝やイカくらいにした方が良さそうです。

って

なんの話でしょうかこれは。

今日もネットで拾った一枚のイラストから

想像と妄想のみを頼りにお話を作ってみました。

成長期、思春期の女子というのは、

戸惑いの中にあるような、

体の変化に心と頭が追いつかない現象が起こるようです。

ではご覧下さい。








タイトル 『腹』




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走る君の横顔が

ずっと好きだった。

盗み見るようにこっそり見ていた。

私は必ず目を逸らすから

君と目が合うことはなかった。



笑う君の声が

ずっと好きだった。

盗み聞きする私は教科書を見るのだけれど

何一つ文字が言葉にならなかった。




髪はちゃんと乾かさないといけなくて

公園のトイレで着替えないといけなくて

そのどれもが無かったことのように玄関を開けて、

そして振る舞わなくてはいけなくて

私はそれを上手に出来た。
 


 
制服から私服、

私服から制服、

制服は脱いだり脱がなかったりして

また私服を着て

私服から制服を着る。



色々とシャワーで流すのだけれど

感触がやけに残ってて

声が頭に残ってて

吐息が体温が温度が匂いが

そのどれもが君を消していく


 
私は君を好きだった。

目も合わせられないくらいに。

他のものが聞こえないくらいに。



二万円の私は、

今の私は、こんなにも君と

目を合わせて笑顔で喋れて、

手を繋いでいる。


 
おしまい






いかがでしたでしょうか。

可愛いイラストだったので、

どうしてもこういう話にしたかったのですが、

私の中では、

まぁ、よくある話かなぁ。という感じです。

ではまた。





 

創作短編ほっこり話 『冬・あの店で』

こんにちは。

山崎 響です。

前々回の喪服前進様とのコラボ記事が

とんでもないPVを記録して、

喪服様の凄さを感じています。

さて、

今回も一枚の写真からストーリーを作るお遊びに興じました。

この写真は韓国映画「酒を飲む」の一場面です。

私は古臭い物が好きです。

日本映画も70~80年代の物が好きですし、

定食屋も大戸屋ややよい軒のような小奇麗な所より

個人経営のボロボロなとこの方が好きです。

なんとも言えないノスタルジーを感じられれば、

定食が不味くたってサービスしてくれなくたって、

来て良かったと思えるタイプの人間です。

ではご覧ください。








タイトル 『冬・あの店で』





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あれは冬
 
あれはどこだったか


 
あれは冬
 
あれは何を食べたのだったか





あまりお金の無かった俺達が

選んだお店は

隙間風が
 
隙間以外からも入ってくるような
 
ぼろぼろの
 
おんぼろのお店だった


 

古臭いストーブがやかんを乗せて
 
湯気と一緒にチンチン鳴っていた


 

海風を受けて
 
入口の戸ががたついていた


 

店には俺達しかいなくて
 
よけい寒さを感じたんだった


 

昼からお祝いだと言って
 
焼酎をあおった

 

たしか
 
何もお祝いごとなど無かったはずだ
 


何を食べたのだったか

 

鍋だったか
 
貝焼きだったか

 

とにかく
 
食べ物と焼酎のおかげで
 
体はやたら温かかった


 

けれど
 
指先だけはどうしても
 
寒くて

 

思い出すと
 
今でもなんかおかしい

 

みんな暖かいはずなのに
 
手だけがぶるぶる震えて

 

震える手で焼酎を飲んでいると
 
店のおばちゃんに
 
アル中だなんだと散々言われて

 

それもやけにおかしくて
 
笑いに笑った気がする

 

 


人に聞かせられるほど
 
面白い話ではないけれど


 


あの日
 
あの場所にいた俺たちのことを
 
幸せと呼ぶのだろう

 
 

あの日
 
あの場所にいた俺たちの時間を
 
人生と言うのだろう




そして人は

この宝物に

思い出と名付けるのだろう 




おしまい。

 




いかがでしたでしょうか。

私が一番好きな飲み会の場所は、

親戚のおじちゃん達が集まって、

金色の包み紙のマグロフレークキューブやサキイカがテーブルにあって、

安い焼酎や安い日本酒を飲んでる。

そんな場所が一番好きです。

もう十何年もそういう集まりはありませんが。

ではまた。 




 

「遭難」 本谷有希子著 を読んで。

こんにちは。

山崎 響です。

 ニコニコ生放送で顔出ししてる人の放送をザッピングするのが趣味です。

昨日も夜中の三時くらいに何の気なしにみていたのですが、

サ行が苦手な自称イケメン、

カ行が苦手な男子高生(イケメン)

ろれつがあやしいおじさん(ジャバザハット)

などなど、

本当に世の中色々な方がいるのだなぁ。

としみじみしていました。

か行が苦手な男子高生は、か行が苦手なのに、

話題が数学の勉強についてとかで、

掛け算。という度に、『くぁくぇざん』ってなっちゃって、

なんだか微笑ましかったです。

しかし、

やはり見てて思うのは、

自分が「可愛い」もしくは「かっこいい」って自覚してる人の放送の、

絶妙な手抜き感ですね。

存在してるだけでそこそこの価値があるから。みたいな。

普段通りのあたし、俺、を見せるよ~。みたいな。

普段通りのお前にそんな価値ねぇから

とは言いません。

目の保養ってやつですよね。 

さて、

今回は創作短編ではなくレビューです。

読書感想です。

読んだ本はこちら


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本谷有希子著 「遭難、」


これは戯曲本(舞台の脚本のようなもの)ですので、

サクっと一時間くらいで読めます。

戯曲本の読む時のコツとしては、

演者の動きや、間 などをト書きとして書いてあるので、

自分なりにそれを思い浮かべながら読むといいと思います。

そういう事を気にしながら読むと二時間くらいは掛かるかもです。

ちなみにこの著者は劇団本谷有希子という、

劇団員がいない形態の劇団をやっています。

お抱えの演者を持たず、

舞台の度に演者が変わるという感じですかね。

そしてこの方が本谷有希子さんです。

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美人とイケメン、巨乳と巨根は、

創作活動のような

鬱々としたもんもんとした、ブスの生きる道には入って来ないで欲しいです。

総取りするつもりかてめぇ!

という気持ちが私の中に芽生えてしまいます。

林 真理子でも美人と言われるような、

政治の世界と同じくらいに美的感覚と年齢感覚が狂った世界であってほしいものです。

もし、林真理子が本当に美人だと思っている方がいたら陳謝するとともに、

美術館に通う事をお薦めします。

話がそれました。



まず、

この本のタイトル

「遭難、」です。

藤岡弘、にも名前の最後に「、」が入ってます。

これは藤岡弘曰く終わりじゃない、続きがある。という意味の「、」だそうです。

この本のタイトルも全く同じ意味が込められているような気がします。

この本は学校の職員室を舞台として、

里見(女) 石原(女) 江國(女) 不破(男) の四人の教師と、

仁科(女)一人の生徒保護者が登場します。

ずいぶん昔の本ですし、

ネタバレを気にせず書きますが、

ザっというと、

「過去のトラウマのせい」という理由をよりどころに暴れる里見という教師が

最後にそのトラウマを解消されてどうしていいか分からなくなる。

人生に遭難してしまう。というラストです。

そこで、

このタイトルの「、」に意味が出て来ます。

遭難したって終わらない。という意地悪にも、

大丈夫、これからだよ。という励ましにもとれる「、」だと思います。

とにかく終わりではなくて、続きがある。と言う事を言っているんだと思いますが、

この著者の作品の特徴として、

性格が捻じ曲がってる人間、人のドロドロとした部分をほじくるのが好き。

というのがあるので、おそらく「、」の意味は前者が正解でしょうか。

美人で性悪な作者。

事故にあわないかなぁ。とか思いますね笑 嫉妬します。

読んでて気づいたのですが、

江國という教師は江國かおり作品に出てくるような、

いい年こいて絶妙にかまわれたい女、不幸が好きな女ですし、

不破という男性教師は作中で

仁科という生徒の母親と一発ヤリます。

不破なのに、ルールを破っちゃうみたいな事になるので、

もしかしたら他の登場人物にも名前にそれ相応の意味を持たしてるのかもしれません。

ストーリーとしては、

仁科という生徒が飛び降り自殺をして意識不明、

その母親が毎日のように職員室に文句を言いに来ている。

母親は息子が相談する手紙を江國に出していて、

それを無視したから息子は自殺をしたと思っているが、

実は手紙をもらっていたのは里見で、

里見はわざと無視していて、

石原は偶然にもそれを知ってしまっていた。

というところから始まります。

そこからそれを隠す為に里見が自分の事だけを考えて、

取り繕う為に剥き出しで暴れます。

不破を女子トイレの盗撮犯にしたてようとしたり、

石原を共犯にしようとしたり、

そもそも里見は職員室に昔からカメラを仕掛けており、

人の秘密を握り、それで人をコントロールしようとしているような人間です。

それを知った石原や他の教師は里見を人でなしのように言いますが、

ここから私なりのレビューが始まります。

里見はトラウマのせいで自分がこんな身勝手な性格になったと言っていて、

またそれを信じています。

本当は身勝手な性格なのをトラウマのせいにしてるという、

順序が逆な話なのですが、とにかく里見はそう信じているし、

それを他の教師にも言います。いうなれば全裸といった感じです。

こういう私で、こういう理由で、というのを全部喋ります。

さらっと読んだ感じだと、

トラウマのせいにしている人間の欺瞞を抉るといった感想になるかと思います。

実生活でもたまにいます。こういう人間。

何かのせいにして自分を肯定する人間。

リストカッター、トラウマ自慢、鬱アピール、

もっと言うと、

仕事が大変、主婦業って大変、子育てが大変、言う人も同じ部類でしょうか。

これ、

全部本当に大変な事ですが、

本当にこれに向き合ってる人って自分からこれを言いませんし、

これらを何かの言い訳に使いません。

そういう所を書いているのがこの本ですが、

私は少し違うところが気になりました。

江國という女性教師は、

仁科に罵詈雑言を言われるのを実は喜んでいます。

他の教師にも心配され、

仁科にはちゃんと蔑んでもらえて

耐え忍ぶ自分に酔っています。

仁科が文句を言わなくなると残念がるシーンもあったりします。

けど、言わない。

だめ!もっとなじって下さい!私を見て下さい!心配してください!とは言わないし、

それを無理やり継続させようともしない。

けど、江國はそういう人間です。

飛び降りて意識不明の仁科くんのことなんか口先だけで、

本当に心配なんかしていません。

毎日入院先にお見舞いに行っていますが、

それも仁科くんの為というより、

毎日お見舞いするわたし。というものが欲しくて行っているのでしょう。

仁科という母親も、

毎日毎日江國に罵詈雑言を浴びせる為に職員室に来ます。

仁科は親の介護もしていて、

実はストレス発散の為だけに来ているのですが、

それも言いません。

表向きは息子を自殺にまで追い込んだ原因をしりたい母親ですが、

その立場を利用して散々色々言いまくります。

そして、

なんだかんだ不破とセックスしたあとは、

妙にトーンダウンし文句はあまり言わなくなります。

ストレス発散出来ちゃったし、

不破との色々という楽しみを見つけちゃったからです。

けど、それも言いません。

言いませんが、わりとどうでもよくなって江國に罵詈雑言を言わなくなります。

私はこの本に出てくる人物、

全員この調子だと思っています。

いやらしいくてずるくて狡猾で身勝手です。

結局自分の事ばかり考えてる人間しかいないのに、

飛びぬけて自分の事ばかり考えてる里見という人物を糾弾します。

自分だけトラウマがあるからって、そんな理由で許されるわけないでしょう!!

と言います。

つまり、楽するな!お前もちゃんと自分に向き合って悩んで、

自分を持て余せ。自分のどうしようもない所、醜い部分に葛藤しなさいよ。

という事だと思います。

うーん。と私は唸ってしまいました。

里見以外の人間は、

そんなに葛藤してる?ちゃんと自分の事意識できてるかなぁ?

むしろ、

どうしようもないところまで剥き出しにしたのって里見だけで、

他の人は普通の人間ですづら下げて、

都合よく自分に嘘をついてるようなだけな気もする。

使い分けと調節が多少上手なだけなくせに、

なにを里見に色々言ってるの?と思ったりもする。

STAP細胞や、耳の聞こえない作曲家など、

砂糖に群がる蟻のごとく、

考えも無く飛びついて批判し、面白がった人達の思考回路を覗いたような気分。

嘘をつかないで生きてる人間はいない。

なのに、

あの嘘は許さないという態度。

まるで里見に対する他の人達のようだなぁ。

と思ったり。

人は、自分の醜い部分を晒すのを怖がり、

自分の中に閉じ込め、

ついには目を背けてしまい、

さらにはそんな人間ではないという風に忘れてしまいます。

汚さや醜さを嫌悪する人間に出会うたびに、

何言ってんのお前。と、

思ったりするくらいには、

まだまだ私も若造で、甘ったれなのかもしれません。

ラストのシーンでこういう一幕があります。



「だったらトラウマ治しなさいよ!」

「嫌です」

「ずるいですよ!今まで散々トラウマのせいにしといて!」

「だって…私だって原因があると思いたいじゃない!生まれつきだったらもう私、誰の気持ちも…!分からないのよ、本当に!お願いします!お願いだから私から原因取らないで…!私から原因取らないで…!」



原因があって結果がある。

ってほど簡単な人間にはなりたくないですね。





ではまた。



 

創作短編恋愛話 『一年』

こんばんは。

山崎 響です。

今日も今日とていつもの語遊戯。

一枚のイラストや写真からストーリーを妄想しました。

が、

今回はなんと様子が違います。

喪服前進さん。というブロガーの方からの依頼です!



喪服前進さんのブログ 『熱発UFOナイト』
http://blog.livedoor.jp/mohukuzenshin/
このブログは、喪服氏の高い画力、バカバカしい笑いが売りの才能の無駄遣い系ブログです。
興味があってもなくても是非一度ご覧ください。




というわけで、

今回は喪服前進様からイラストをご提供いただいて

やってみました。

ご覧ください。








タイトル 『一年』



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私はずっと知っていた。

何か言いたい気持ちもあったけれど

見守ることにした。

可哀そうかな?と思ったけれど

私が何か言えば

あの子をみじめにさせると思った。





そして今日

いってきます。

その声がいつもと違っていた。

慌てて玄関を出て

娘の姿を探すと

今にも駆け出すんじゃないかと思うように

跳ねて歩いていた。

私の知ってるあの子が帰ってきたようだったし

背中にはランドセルが見えるような気がした





結局一年くらいは続いたのだろうか。

社会人になって二年目の秋から一年

ふと気づいた時はすでに

背伸びして転びそうだと思った。

物憂げな仕草

服装もあの子らしくないものに変わって

私とあまり目を合わせなくなった。

帰りは決まって遅くなり

仕事が忙しいと言った。




甘い物も食べなくなって

可愛いものを遠ざけるようになった

まるで今までの自分を切り捨てていっているようで

痛々しくて見ていられなかった




娘はどんな言葉を貰っていて

どんな言葉をあげてるのだろう

何を感じて

何を見ているのだろう

娘の部屋からたまに聞こえてくる

すすり泣きを聞いて

胸が締め付けられた

けれど

あの子は泣いていい立場なのか分からなかった。





今日は少し暑いみたい。

青空が広がって

辺りを真っ白に照らしている。

晴れ渡った空に

吸いこまれるように娘の姿が飲みこまれていき

私はそれをしばらく見ていた。









おしまい


 






どうでしたでしょうか。

作品の解説は控えますが、

ぷりっとしたお尻、

青空

光の陰影

などから色々と考えてみました。

なんとなく楽しそうで、

嬉しそうで、

けど、

なんだか凛とした逞しさのようなものがあるような気がします。

ところで、

昔の歌謡曲なんかを聞いていると

恋にしても愛にしても

しっとりとした色気や

情や憂いなんかを感じますが、

どうなんでしょうかね。

セックスの価値が薄まっている現代、

恋愛の価値も比例して薄まっている気がします。

セックスの中に恋愛を孕んでいるのか、

恋愛の中にセックスを孕んでいるのかは分かりませんが、

きっとセットなのでしょうね。

ではまた。




 
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