私は母を21歳の時に亡くしている。

当時、私は都会でひとり暮らしをしていて、

当時、というか、

その前日、友人ともいえぬ異性とお酒を飲んでいて、

それはもうしこたま飲んでいて、

友人ともいえぬ。というのは、

異性としてしか見ていなかったからで、

それは心を分かち合う相手というよりも、

性の対象としてしか見ていないという意味で。

ただの凹と凸が、服着て酒を飲みながら様子をうかがっているという状態で、

なので、しこたまお酒を飲んで、

なんとかなってやろう。というか、なんとかしてやろう。というような心持ちだったのです。 

そんな前日の夜を過ごし、

やることもやれないくらいに飲み過ぎてしまった私は爆睡していたのです。 

そんな当日の朝、

実家の父は、交尾に失敗して酒に飲まれた我が子に向かって

電話を鳴らしまくっていたのです。

こちらは朝方まで飲んでいましたので、

どのような爆音の着信音も受け付けず、

ともすれば、

隣人のほうが起きたのではないだろうか?というくらい気づかなかったわけです。

母親がくも膜下出血で倒れた。

という報せを。

その報せが、私には全然届かなかったのです。

前夜の愚行のせいで。

必死で鳴らしまくったのでしょう。

私の携帯電話はあっという間に電力を失い、電源が落ちた。

電源が落ちた携帯と、電源が落ちている私。

起きたのは午前11時でございました。

コーヒーを淹れ、二日酔いの頭をひきずり、

なんとなしに携帯を確認したところ電源が落ちていて、

充電して電源を入れたところに飛び込んできた

嵐のような実家からの着信の通知。

ピンと来ました。なにか、重大な、起きてはならない事が起きたのだ。と。

電話をかけ、事を知り、慌てて飛行機に飛び乗り、

病院についた時には、手術は終わり、

あとは、死を待つばかりの、

お医者様が言うには「今夜が山の植物状態」でありました。

最後に母と会話したのはいつだったっけ?

普段から、母からの電話は邪険に扱っておりましたもので、

思い出せど、ろくな会話をしておりませんでした。

あぁ、あれが最後の会話だったのか。

と、

思い出したところで、どうにもなりません。

亡くなってしばらくした頃でしょうか?

山のような、海のような、到底言い表せ切れない量の後悔が襲ってきたのは。

なぜ。どうして。私はこうしなかったのか。こうしてなかったのか。

後悔先に立たず。

死は突然訪れる。

言葉は知っておりました。知ってたつもりでおりました。

が、

愚かしいとはこの事でしょう。

まんまと先に立たなかった後悔に思い悩み、

人の生死の無情さに、無常さに、途方に暮れたものでした。

何を問いかけようと、

何の反応も示さない管に繋がれた母の姿、

心拍をしらせる機械音、

沈痛。というのはああいう事をいうのでしょう。

手をギュっと握ろうとも、

頬を優しく撫でようとも、

何の反応もなく、ただ呼吸をつづけるばかり。

最後に交わした会話もうろ覚え、

最後に会った時の記憶も脳に焼き付いてはいない。

これはなんでしょうか。

なんと言うのでしょうか。

ともかく、

母は亡くなりました。

あっという間に。そのまま。

通夜、葬式が二日ほどかけて終わり、

張り詰めていた緊張も解け、

何をしていいか分からない。

なんとなしに開けた冷蔵庫に、

ハンバーグがあったのです。

ラップが掛かって、ポツンと。

作り過ぎたのでしょうか?なんでしょうか。 

「お父さん、これ、お母さんが作ったやつでしょ?いつの?」

私は聞きました。

「4,5日前じゃないかな。悪くなってると思うよ」

父は言いました。

私はそのハンバーグをレンジで温め、ラップを取りました。

悪くなってるかどうかは問題じゃないのです。

少し、

酸っぱい匂いを感じましたが、

私はビールを取りだし、

ハンバーグを一口食べました。 

悪くなりかけてる。もしくは悪くなっていたのかもしれません。

味も少し酸っぱかった。

けど、

鮮明にこの味だ!というわけではないですが、

食べ慣れた味だなぁ。と思いました。

特別美味しいわけでも、不味いわけでもない、

この味。

唯一残された母の最期の手料理。

ハンバーグ。

味わって食べたのか、

パクついてしまったのか、覚えてませんが、

一口食べて、

『あぁ、母が作ったやつだなぁ』

と、思ったのは鮮明に覚えています。 

不思議と、お腹を壊すようなことはありませんでした。

人間、本当に食べたいものを食べた時は、

何を食べても平気なのかもしれません。 









おしまい。