もうすぐバレンタインデーですね。

ヘドが出ます。

こんばんは。山崎 響です。

最近、大切な人に、あるショートストーリーを教えてもらいました。

それは韓国のお話で、それをわざわざ訳してメールしてくれました。

作ったお話ではないのですが、

是非、ご紹介したいと思いブログに転載します。



そして、

途中に出てくるモノクロの写真があるのですが、

このお話に似合う画像は無いかなぁ。と、検索していた時に見つけたものなのですが、

jhmさんという方が運営してらっしゃるブログ


にあったものです。

ぶしつけなお願いをしたにもかかわらず、このブログに転載する事を快諾していただきました。

jhmさんは函館の風景写真を撮ったりしておられていますが、

こちらのブログにある写真は物語があったり空気や時間が流れていたりで、

すっかりファンになってしまいました。

皆様にも一度ご覧になることを強くお勧めしたいと思います。




では、

本編を始めさせていただきます。








『その子』



私たちはどぶ川の方に臨んだ蟹の甲のように平べったい家がくっついている町で育った。

その町では誰もがそうであったように、

私もその子も貧乏だった。

もちろん違うところもあった。

私の父はたびたび給料を払って貰えないような冴えない会社の営業社員だった。

その子のお父さんは片っ方の眼球に犬の目を埋め込んで、地下鉄の駅で袖乞いをしていた。

私の母は部屋の真ん中で山のように積んでおいたカエルの人形に目を埋め込んでいた。

その子のお母さんは川沿いの裏道でコーヒーを売って、たまにホルモン屋さんの裏部屋で体も売った。

私の家は4人家族が2部屋の家の家賃に困っていて、その子は公衆トイレの隅にテントを張って仮で焚口をおいた場所に住んでいた。

私は子供の日に酢豚が食べれず、ジャージャー麺しか食べられないことで泣いて、

その子は母が外泊してくる夜はお父さんの暴力を避け裸足で川沿いを走っていた。

言わばそうだ。私は貧乏で、その子は不幸だった。



貧乏な町は小学校も小さかった。私達は4年生の時初めて同じクラスになった。

偶然その子の家の前を通りかかって、丸見えの焚口でインスタントラーメンを作っているその子を見た。

その子の着ているボロボロのシャツにはキムチの汁がついていて、顔にはキムチの汁と同じ色の血痕が残っていた。

にらめっこのようにしばらくお互いを睨み合って、私の方から口を開いた。

お前ん家の台所はポプキ(韓国の昔の飴)を作るには最高だ。

私は家から砂糖と金杓子を持ちだして来て、杓子を黒く焦げつけながら私達は友達になった。



家の工面が良くなり、私の家族はソウルの反対側に引っ越した。

父は親戚のおじさんが紹介してくれた会社に通うようになった。

給料はちゃんと入ったし、母は副業を辞めた。

私はたまにその子に手紙を書いた。

クリスマスには一年間つけた硬いカバーの日記帳をその子に送ったりした。

その子は薄いノートを一冊送ってきた。



三月四日 始業式だった。先生に叩かれた。

六月一日 イチゴを食べた。

九月三日 姉ちゃんが風邪をひいてお父さんが怒った。

十一月四日 誕生日だ。



その子はイチゴを食べたら日記をつけた。

イチゴを食べることが日記をつけるほどの事だった。



私達は中学生になった。


その子のお父さんがその子のお姉さんの目の前で焼身自殺をしたという噂を耳にした。

その子は真っ暗の夜には誰かの畑に入って唐辛子やトマトを盗ってきたりしてると手紙に書いていた。

タバコを吸い始めたとも書いていた。

私は美術部に入ったことやマックでした初めての合コンのことなどについて書いた。

一度会おう。といつも話していたけど一度もお互い電話はしなかった。

ある日その子の便りが途絶え、私はタバコを吸い始めた。





高3の誕生日に電話が掛かってきた。

私達は避馬通り(ピマッコル)でマッコリを飲んだ。

誕生日のプレゼントだと言いながら辛ラーメンをダンボールごと持って来たその子は左足を引きずっていた。

バイクの事故だと言った。

ラーメンはスーパーの前に積んであったものを盗んだと言った。

川辺駅の前でクラブの客引きをしていると言った。

「遊びに来たらサービスするから」



酔っぱらったその子が言った。

「いや、来るな」


落ち込むことがあると私はその子からもらった辛ラーメンを一つ作って食べた。

ネギも、卵も入れずに。

酔っぱらっていたその子の真っ赤な顔の様なラーメンのスープを。




私は美大を卒業し会社員になった。

ある日その子は突然私を訪ねてきた。

地下鉄の駅で自殺した人の削られた肉片をたらいにかき集めながら2年を過ごしたと言った。

川原(地名)のどこかの屠所で牛をほうむりながら、また2年を過ごしたと言った。

一日に何百頭の牛の頭を打ち降ろして、一日中血とお酒に酔い潰れて。

ある日用があって銀行に行ったらみんなにさけられたって。

洋服を着替えても体中に染み込んでる匂いだけはどうしようもないみたいだって。

その夜、作業場に座っていたら牛の頭が全部自分の顔に見えてきたんだ。そこまで飲んで無かったのにって。

その子は飲み屋のテーブルに頭を打ってはぼそぼそとつぶやいた。

「俺はどうしていつも悪い札ばかり引いてしまうんだろうね」





その子がピラミッド会社(ねずみ講)に勤めはじめたという噂を聞いた。

会うなよ。と小学校の同級生の友達に言われた。

その子の連絡を受け、私はマットレスや浄水器なら一つあってもいいかなと思った。

就職してまだ実家に送ったものもないし、ちょうどいいかもしれないと。

その子は私に何も言わなかった。






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私達は季節の変わり目にたまに会ってお酒を飲んだ。

寒い冬にはおでんと焼酎。

心が暖まった。




その子から富川(地名)にある物流会社に就職したと言う連絡があった。

高校の時に正気を失ったその子のお姉さんはかなり年の離れたおじさんの後添いとなったという話を聞いた。

「子供は二人いるけど、イイ人らしいよ。手も出さないみたいだし」

「給料は少ないよ。でも給料もらったらカムジャタン(ジャガイモと鶏の辛い鍋)奢るから」




その子は物流倉庫のトラックに轢かれて死んだ。27歳だった。





その子は私が初めて好きになった男の人だった。

一度も言ったことがなかったけど、私は私達が結婚をするかもしれないと思っていた。

手も繋いだこと無かったけど、その子の小さくて細い体を抱いて眠る毎日を想像したりした。

いつか、俺はどうしていつも悪い札ばかり引いてしまうんだろうと呟いた後、その子は静かに

「だから俺は大切なものは必ず、すっごく大切にするよ。俺にはそういうの、あんまりないからさ」

と言った。

でも私の恋は、計算が早く、臆病で、何の答えも返してあげられなかった。




私はその子が好きだった。けど、その子の不幸が怖かった。

もしかしたら私たちは一緒に暮らせたかもしれない。

貧乏であっても、不幸ではないように。




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おしまい。